ベートーヴェン・ハウスの思い出
ピアノの効用というと情操教育や能力開発が挙げられる事が多いですが、それだけではありません。私自身、ピアノをやっていて良かったと思った出来事が今までの人生で少なくとも3回ありました。少し長いですが、その一つをお話させて下さい。
まだ20代の頃、海外旅行中にバックパッカーズと呼ばれる安宿でエクスチェンジという仕事をした事がありました。簡単な掃除やベッドメイクを4時間やって、無料で泊めてもらえる制度です。半日を観光に使えるので、若い旅行者がよくやっています。
宿のオーナーはアジア系人種に偏見のある人で、地下室で寝泊まりするよう言われました。あまり綺麗な場所ではなかったようで、何と何日目かに全身ノミに噛まれて顔まで真っ赤に腫れ上がってしまい、人生で最もひどい風貌になってしまいました。オーナーは私を見て「お客がびっくりするから出て行ってくれ」と言い、そのまま放り出されました。
宿を何軒も当たりましたが、顔を見ると断られてしまいます。遂に最後の1軒、ここがダメなら公園で野宿と覚悟して行ったのが「The Beethoven Haus」というバックパッカーズでした。といっても場所はドイツではなく、ニュージーランドです。シンガポール人のオーナーは、黙って泊めてくれました。
さて、部屋の隅っこに陣取ったは良いものの、その風貌に驚いて誰も話しかけて来ません。当然ですね。逆の立場だったら、私も近寄らなかったと思います。治るまでは仕方が無いと諦めて引きこもる事にしました。
誰とも目を合わせないまま3日過ぎたある夜、ドアに誰かが立って何か大きな声で話しかけてきました。「え、私?」そのままじっとしていると、真っ直ぐにこちらに歩いて来ます。「そんな所にいないで下に行って、みんなと一緒にテレビを見よう」
え、とは思いましたが、勢いに押されて一緒にリビングに向かいました。そして部屋に入った瞬間、案の定周りの空気が凍りつく。「うわ、来た」って感じですね。しかし全員が目を背ける中、その人は何も目に入らないかのように普通に自己紹介を始めました。
どんな人だったか興味があるでしょうか。今の情勢では何とも書きづらいですが、韓国の方でした。(批判ではありません。それとは別です)ソウルで働いていて、観光で来ていたそうです。私たちの会話を耳ダンボで聞いていた周囲の人達は、自己紹介や旅の話で怪しい者ではない事が分かったのか、次第に和らいでいきました。
リビングには小さなピアノと、モーツァルトの楽譜がありました。テレビを見終わって皆が雑談を始めた頃、自己紹介代わりに思い切って弾いてみました。
すると、今度は周りに人が寄って来ました。それまで知らん顔していたヨーロッパ系の人たちが「リラックスするね」「癒されるね」などと話しかけてきます。オーナーのアランもやって来て「専門に勉強したんだね。悪くないよ」と言ってくれました。それからは変な目を向けてくる人はいなくなり、何日かすると肌も元通りに治っていました。
政治や経済と違い、音楽はそれ自体、無くてもすぐに困るような事はありません。ですが人々の営みやちょっとした不運が作ってしまった壁を、音楽は瞬時に飛び越え、何も無かったかのように人の輪を作ります。惨めな経験が素敵な思い出に変わった、旅の一夜の経験でした。
以上が「そこにピアノがあって助かった3つの経験」のうちの一つです(笑) 残りの二つは、またの機会に。